2015年1月15日

創業者小松シキについて

小松シキが12才の頃、青森県の小さな町の奉公先で煎餅焼きを覚えたのが、南部せんべいとのご縁のはじまりでした。

シキが12才の頃、青森県の小さな町の奉公先で煎餅焼きを覚えたのが、南部せんべいとのご縁のはじまりでした。54年間、せんべい焼き一筋の人生を歩んできました。その間いろいろと苦労の積み重ねがありましたが、みなさまの暖かいお引き立てとたくさんのありがたいご縁の御陰で南部せんべい一筋に焼き続けることができました。

どんな困難に出会っても、感謝の心で乗り越えてきました。寒い最中に凛として咲く椿の花のように。

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巖手屋創業者 小松シキ

大正7年12月20日 岩手県二戸市金田一生まれ。
昭和12年 小松実と結婚。二男二女に恵まれる。
昭和23年4月 小松煎餅店創業。
平成14年2月4日 永眠。享年84歳。

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おばあちゃんの南部せんべい物語

※以下の文章は、小松シキ著 『むすんでひらいて』より抜粋したものです。

「あっ、お婆ちゃんの南部せんべいだ」
「違うよ。南部せんべいのお婆ちゃんだよ」
 おおば比呂司先生が、私をモデルに、うちの包装紙を描いて下さり、それがテレビや新聞の広告に出てからは、私は、南部せんべいのお婆ちゃんと言われるのです。
 また息子たちが、お婆ちゃんの人形を作り、それを、デパートや駅ビルの売場に飾って、看板代わりにもなっています。

 始めは、照れくさくて、もう街も歩けやしない、と思ったのですが、よくよく考えてみると、南部せんべいは大体がお婆ちゃんの手仕事で、昔はどこの家でも、お婆ちゃんが、囲炉裏端で焼いていたものです。
 私も、一家を飢えさせまいと、それが商売になる、などと思いもせずに、私のできる仕事だから、と始めたものでした。
 思いも掛けず、それが、巖手屋という会社になっただけのことです。
 お婆ちゃんの南部せんべい、と言われるのは、名誉なことだ。少しも、恥ずかしくなんかない。
 それに、あの、南部せんべいのどこか日向くさい味わいは、お婆ちゃんの味、そのものですよ。
 だから私は、幼稚園の子供たちにも、にっこりしました。
「はいはい、南部せんべいのお婆ちゃんですよ」
「南部せんべい、いっぱい食べようね」
 子供たちは一斉に頷きます。
 引率の先生と目礼を交わし、私は急いで切符売場に行きました。
 ホームで汽車を待っていたら、風に乗って子供たちの歌声が聞こえてきました。
「むすんでひらいて、またひらいてむすんで」
 私も思わず、口ずさみました。
「むすんで、ひらいて、また、ひらいてむすんで」
 そうだな。私の人生も、結んで開いて、この繰り返しだったな。
 母と二人で身を寄せ合うようにして過ごした子供時代。束ねを売りに行って吹雪で遭難しかかった日。何も良いことがなく死んで逝った姉。二十一丁のせんべい型で夜も寝ないでせんべいを焼いていた頃。
 次から次へと、思い出が押し寄せてきます。
 
「むすんでひらいて、また、ひらいてむすんで」
 これからも、生きている限り、私の繰り返しは続いてゆくのです。
 そして、私が亡くなったら、息子や娘たち、やがては孫たちへ。人生は、結んで開いて。だから、楽しいのではないでしょうか。 

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あんたは何かをする人だよ。

「シキちゃん、あんたは偉いよ。あんたのする仕事は他の子供と、どこか違う。その気持ちを忘れるんじゃないよ。そうすれば、きっと立派な人になる。いつか、あんたは何かする人だよ」
 いつか、あんたは何かする人だよ。
 意味も分からず聞いたそのひと言が、以降の私を支えてくれたのです。私はその後、何かあったり困難に出会うといつもこの言葉を思い出し、自分を奮い立たせました。
 もっとも、その時は、一体何をすれば良いのか、何をするというのか、少しもとりとめがありません。今はとりあえず学校へ行き、子守と縄ないをし、裁縫を必死に覚えよう。学校が終わる歳になれば、体も大きくしゃんとし、どんな仕事でもできるようになるだろう。
 漠然と、そんなことを考えただけでした。でも先生の言葉に、何かこうっと心が開き、未来が広がったような気がしたことは今でも忘れられません。

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母ちゃん、シキは商人になる。

「母ちゃん、シキは商人になる。このまま奉公していだって、いつまでたっても親孝行なんて、できない。商人になって、たくさんお金を稼ぐから、もう、奉公には出さないでけろ」
 盆でも正月でもないのに帰ってきた私を見て驚く伯母と母を前に、私は、土間に入るなり一気にこれだけをしゃべりました。ほとんど、叫びました。道々、考えてきたのです。先手必勝。今度こそ言わないと、またどこかへ奉公に出される。そんな事をしていたら、いつまでたっても、商人にはなれない。
「商人になる?」
 伯母は、あっけにとられてか、力なく繰り返し、声を出さずに笑いました。
「そう、商人になります」
 私はキッパリしたもんです。
「お前、商人て、そんな体一つで何ができる。できるものなら、やってみろ」
 伯母は我に帰って毒づいて、私の鼻先で戸をぴしゃっと閉めて、奥に引っ込んでしまいました。
 母は何も言いませんでした。私を自分の寝間に連れて行き、早く寝かせてくれました。

 翌朝起きたら、母が居ません。びっくりして起き上がったら、母が戻って来ました。親戚からリヤカーを借りて来てくれたのです。
「これしか、してやれないぞ。シキ」と、母は言いました。「後は、お前の頭と力でやってみろ」
「これだけは言っておくが、商売というものは決して生易しいもんじゃないぞ。半端な気持ちなら、今のうちに止めるんだ。分かったな、シキ」
 ついぞ、母が見せたこともないおっかない顔です。
 でも私は、到底借りられるとは思っていなかったリヤカーが目の前にあるだけで、嬉しくて、弾むような気持ちでした。
「うん、分かった」返事もそぞろに、リヤカーを引いてみるのでした。決して弱音は白無い。途中で投げ出したら、自分は、伯母のいう、こらえ性の無い怠け者になってしまう。母が伯母の手前どんな思いで私の我がままを聞いたのか、私はハッと気づくと、シュンとなってしまいました。母のためにも、私は、頑張り通すしかありません。
 私の商売が始まりました。白菜やリンゴをリヤカーいっぱいに積みこむと、十二キロ離れた福岡へ出発です。また辺りは暗く、舌崎はどの家も眠っています。
 山道の途中で夜が明け、福岡に着くと、ちょうど売り歩くのにいい時間でした。

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21丁のせんべい型で、シキちゃんのせんべい屋さんの始まり。

「本当に買うよ。幾ら?」
「古くたって、まだ使えるもので、安くはないよ。二十一丁で一万円と思っている」
 当時の一万円といったら、大金でした。しかし私は値を聞く前に、決心していたのです。
 ワラビの大失敗以降、慎重をモットーにしていた私ですが、行商の行く末のこともあり、せんべい型との出合いには、一つの運命を感じたのです。
「よし、買った!」
 私は、主人に手伝ってもらって、重い型を背負って家に帰り、かつては下駄作りをしていた板の間に据えつけました。
 シキちゃんのせんべい屋さんの始まり、始まり。陽気にはしゃいでみましたが、頼りといったら、十二歳の奉公の記憶です。心もと無い話ですが、やるっきゃありません。

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シキのせんべい屋、繁盛。

 せんべい屋は順調に伸びてゆきました。福岡の街で扱ってくれる店が次第に増えてきましたし、何よりも、国鉄の弁当部で販売してくれるようになったからです。こうなると、もう、私一人の手では、賄いきれません。とりあえず近所の人を一人頼み、二人頼みして、品切れの無いよう、作る量を増やしていきました。それでも注文に追いつきません。商人にとって何が一番面白くないって、品物が間に合わず、売り上げができないことです。売れないのは仕方ない。売れるのに、モノが間に合わない。これくらい、商人を落ち込ませるものはありません。
 悩みに悩んでいたら、半自動の新しい機械を入れたらどうかと勧めてくれる人がありました。「羽が四十枚ついていて、半自動ですから、今までの三倍は製造できますよ」
 三倍!欲しい。でも、私には、蓄えというのが無いのです。こんなに働いているのに、またお金は確かに入ってくるのですが、私は残せないんです。お金は役に立つよう使うもの、という意識が強いんですね。金儲けには誰より興味があるし、熱心なんですが、得たお金には執着しない。お金のほとんどは、困っている親戚に融通したり、事情のある人に都合したりしていると、いつの間にか、影も形も無くなるものです。

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山に行ったら木を。川に行ったら水を大事にしなさい。

「山に行ったら木を。川に行ったら水を大事にしなさい」
 夫がいつも言っていた言葉がよみがえります。山に行ったら木を大事にしなさい。川に行ったら水を大事にしなさい。
 私は、人を大事にしよう、と思いました。手焼きの型二十一丁から始めたシキのせんべい屋が、巖手屋となって、気が付けば、従業員も二百人近くになろうとしています。
 私一人の力ではない、小松の家族だけの力でもない、一生懸命、会社のため、私のため働いてくれる人たちがあって、巖手屋ができたのです。
 山の木、川の水、会社の人。私は、人を大事にしよう。それが、私の一番の仕事だと考えました。

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「南部せんべいは大体がお婆ちゃんの手仕事で、昔はどこの家でも、囲炉裏端で焼いていたものです。私も、一家を飢えさせまいと、それが商売になる、などと思いもせずに、私のできる仕事だから、と始めたものでした。あの、南部せんべいの、どこか日向くさい味わいは、お婆ちゃんの味そのものですよ。」

小松シキ著 『むすんでひらいて』

小松シキ著 『むすんでひらいて』

(株)IBCビジョン発行 1800円
いかなる逆境も持ち前の負けん気で乗り越え、明るく逞しく生き抜く、南部せんべいの肝っ玉おばあちゃん。巖手屋創業者小松シキが波乱万丈の人生を乗り越え、日本一の南部せんべい屋になるまでの物語。